• 社会的価値

2024.08.06

スポーツの本当の価値を可視化したい【前編】

今井 由貴子

デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 マネジャー

スポーツの社会的インパクトが注目を集める中、デロイト トーマツ コンサルティングではどのような狙いを持って、その分析に取り組んでいるのか。

本テーマ「スポーツの社会的価値」の第1回は、同社で主にCX(Customer Experience:顧客体験)の業務に携わる今井由貴子氏に、SROI分析をスポーツで実施するようになった背景などを伺った。

まずは、ご経歴を簡単に教えてください。

新卒で国内大手IT・通信会社に入社し、営業・企画・技術職と幅広く職種を変えながら上流から下流までIT関連の業務を経験しました。特に契機となったのが、「10年後に100億円規模のビジネスになる新しいサービスを作る」というプロジェクトへのアサインでした。正直、最初は何から手を付ければいいか途方にくれたのですが、自分がやってみたいことを企画することにしました。

元々地方創生の仕事に携わりたかったこともあり、地方の交流人口を増やすサービスの検討を始めました。当時は地方にインバウンドが増加し始めている時期だったため、収益拡大が見込める観光・エンタメに絞りました。その後、ターゲットユーザーを設定し、ペルソナやカスタマージャーニーといった顧客起点でのサービス創出の手法を用い、ターゲットにとってより良いサービスは何かを突き詰めていきました。

企画した直後、幸いなことにあるコンソーシアムで実証実験ができることになりました。それは日本のプロ野球球団とのプロジェクトで、野球観戦をする人がスタジアムへ直行直帰するのではなく、移動や食事、エンタメを組み合わせて彼らの1日を常に楽しめるような体験を提供するものでした。ここで企画していたサービスのアプリ開発を行い、ユーザーへのアンケートやインタビューから提供価値の検証とステークホルダー等の関係企業とビジネスモデルの検証を行いました。

実証実験は十数社の企業が協力して社会実装を目指していくものでした。それまでの私はこれほど多くの企業と協力したビジネスをしたことがなかったので、複数企業のコラボレーションにより社会に大きな影響を与えることができるとあらためて感じた経験でした。そこから社会に対するインパクトにより関われる場を求めて、デロイト トーマツ コンサルティングに転職しました。

目に見えないものを形にする仕事にやりがいを感じるタイプですね。デロイト トーマツではどのようなお仕事をされているのですか。

前職での経験を生かし、CXの業務を軸にしています。スポーツ業界の仕事では、サッカーやボクシングの観戦体験調査を行い、課題の抽出やユーザーにより良い体験を提供するための施策案をご提案したり、スポーツコンテンツの海外展開に向けた戦略策定やスポーツチームのブランド戦略立案などを担当したりしております。

コンサルティング業はクライアントのイメージを具現化して導く役割が求められると思いますが、彼らの大まかなイメージをどのように形にしていくのでしょうか。

クライアントの業務改善に向けた整理の方法は、大きく二つあると思います。一つは、今の課題が何かを明確にし、それを解決していく方法。もう一つは、将来的にありたい姿を描き、それに向けて必要なステップを整理する方法です。コンサル業界のスキルを生かしてスポーツ市場の拡大に貢献できるとうれしいですね。

デロイト トーマツ グループではFC今治やPacific Rim Cupの活動に対して、“価値”の定量化手法の一つであるSROI(Social Return on Investment:社会的投資収益率)を用いて社会的インパクトを算出されていますが、どのような背景で取り組み始めたのでしょうか。

SROI分析は、政府や非営利団体が資金提供したプログラムの価値を評価するための試みとして英国で生まれましたが、近年ESG(Environment・Social・Governance)の文脈で企業がより広範な社会インパクトの測定と管理を目的として関心を集めています。当社でもきっかけとしては、社会貢献活動の価値を測定できないか、ビジネスと共通の物差しであるお金で語れるかを検討していく過程で始まったと聞いています。

 

※参考記事

・『スポーツとコミュニティが生み出す社会的価値 ~サッカークリニックの社会的インパクトを可視化する~』(デロイト トーマツ コンサルティング)

・『Pacific Rim CupのSROI分析に関する考察【前編】』(SPORTS BUSINESS LABORATORY)

・『Pacific Rim CupのSROI分析に関する考察【後編】』(SPORTS BUSINESS LABORATORY)

 

今井さんがSROIに取り組むきっかけは何だったのでしょうか。

私が最初にSROI分析をしたのはPathfinder(パスファインダー)という当社とSalesforceが共同で行うDX人材育成プログラムに関するプロジェクトでした。メインターゲットである女性たちが研修を受け、コミュニティを形成し、Salesforce資格を取得、その後の就職までの活動の社会的インパクトの算出を行いました。

分析の結果、本プログラムが個人の人生にもたらす影響や、コミュニティが個人の中でどれくらい大きな存在なのか等、これまで潜在的にはあると分かっていたけれど可視化されていない価値が見えるようになることに大きな手応えを感じました。潜在的な価値を顕在化している価値と同様に金銭でスコアリングすることで、同じ土俵に乗せることができるからです。

SROI分析には、どのような工程があるのでしょうか。

まず活動によって影響を受ける受益者を特定します。その後、「ロジックモデル」というものの作成に入ります。ロジックモデルはその活動は具体的にどのようなことをしているのか、その活動が誰にどのような価値を提供しているのかを整理したものです。受益者が受ける価値を短期、中期、長期のアウトカム(受益者が得られる成果や効果)として時間軸で分類し、それぞれの時期に、誰にどのような価値を提供しているのかを一つひとつ洗い出して整理していきます。

その上で、対象の活動によって受益者にどのような変化が生まれたかをデータやアンケートから収集します。その結果、どの程度の価値が生まれたかを「金銭代理指標(※)」を用いて数値換算し、定量化を行います。最終的に価値の合計と費用の合計で除算してSROIを算出します。いわゆる「良い取り組み」だと感覚的に捉えていたものを金額に換算して価値を可視化することで、その取り組みの価値を測定するのです。

※金銭代理指標:SROI分析において、市場価格や経済データなどの情報を元に算出された社会的・環境的な成果を、金銭的な価値に変換する指標

 

スポーツビジネスでは収益を再投資するケースが多く、PL(Profit & Loss Statement:損益計算書)上では利益が出ていないため価値がないと捉えられがちです。だからこそ、今まで見えていなかった社会的インパクトを可視化できることがポイントだと思います。スポーツ業界でも取り組もうと思われたのは、なぜでしょうか。

あらためて考えてみると、最初にお話しした前職の経験ともつながりますね。前職で企画した地方創生のサービスは自社の売上に貢献できる上に、社会にとっても良いことでもあると考えていたのですが、社内の予算取りでは「そのサービスは稼げるのか」「会社にとっての利益は?」といった売上の側面を多く問われました。企業活動としては当然ですが、日本全体、特に地方の人口が減少し経済規模が縮小していく中で、企画内容の売上には直結しない良さを訴求したい気持ちがあって悩んだことを思い出しました。SROIはその答えにつながる一つの取り組みだと感じました。

当社スポーツビジネスグループでスポーツ市場の拡大について検討していたときに同じ課題だと思いました。スポーツはスポーツをする人には健康をもたらし、観戦をする人には感動を与え、応援を通じて生きがいにもなり得ます。スポーツには、チケット代や放映権料といった目に見える金銭として生み出されている価値以上に、皆さんが分かってはいるけど「社会に大きな影響を及ぼす目に見える状態になっていない価値」が間違いなくあるのです。スポーツ市場を成長させていく上で、そういった社会的インパクトを可視化してスポーツの価値を増やしていくことが、スポーツ市場の拡大につながると感じたからです。

SROIはスポーツに限らず様々な分野で活用できるツールですが、スポーツは特に相性が良いと考えています。感情に頼りがちなスポーツにおいて、一つひとつロジックを積み上げて良いことの価値を可視化することで、スポーツの本当の価値を示すことができます。新しい価値をゼロから生み出すわけではなく、見えていなかった価値を可視化することに大きな意義があると思います。

※後編(8/20掲載)は、こちら へ!

プロフィール

国内大手IT・通信会社にて、CX を軸に新規事業を立ち上げた経験を持つ。複数企業とコラボレーションをしたスポーツ×まちの活性化の社会実証実験を経てサービスローンチをしたことで、社会的インパクトへの関心が高まる。その後、2020年5月にデロイト トーマツ コンサルティングに入社し、主に自治体・民間企業・スポーツにおけるCXにフォーカスした新たな価値創出のコンサルティングに従事。早稲田大学招聘講師、人間中心設計スペシャリスト。

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