まずは札幌の社長時代についてお伺いします。おそらく予算が限られていたであろう中で、どういう工夫をしてチーム編成をされたのでしょうか。
就任当時、強化費はJリーグ全体で上から25~30番目くらいでした。 応援されるチームを作るためにも、アカデミーの選手を多く昇格させると同時に、地元出身選手を獲得し、彼らをどう育てるかをメインで考えていました。また、素晴らしい実績があったり、メジャーであったり、一芸に秀でていたりと、何らかの魅力を持っている選手の獲得を考えていましたね。
就任初期はJ2リーグを戦っていましたので、アカデミーから複数人の選手を昇格させることができましたが、J1に昇格してクラブのレベルが上がっていくと、若い選手たちが出場機会を得にくくなるため、トップチームへ昇格させるべきなのかをしっかりと考える必要があります。トップチームの強化と並行してアカデミーの組織力を上げていく必要性を感じましたし、私の在籍時に達成したかった点の一つだと思います。
地域密着というマーケティングの側面も意識しながら、選手を獲得されていたのですね。
そうですね。マーケティングの視点は、強化費の多寡に関わらず常に考えていました。ファンから愛されないといけないのは当然として、プロの世界なので、2年後や3年後に選手たちが戦力としてどう成長するかは当然として、いかに良い選手を獲得して、他クラブに売れるかという視点も持ってはいました。
ただ、クラブが強くなっていくためには、一定期間を同じ選手と一緒に歩んでいくことが必要だと感じていました。そのためには、選手の成長とクラブの成長、つまり、チームの成績に合わせてクラブの収入を増やしていかなければなりません。選手の成長にクラブの成長が追いつかないときは、選手はより大きなクラブへ移籍して次のステップに行くべきだと思います。
札幌でも他クラブから何度もオファーを受ける選手がいましたが、「クラブとして、これくらい収入を増やしていくから、君の年俸もこれくらい上げていくよ」と選手たちに自分のビジョンを伝えた上で、札幌で一緒にJ1に昇格しよう、またはJ1に残留しようという話をしていました。
リーグが成長過程にある米国のMLS(メジャーリーグサッカー)でも、リーグから選手に対して「ビジネスパートナーとして考えてほしい」という話がなされています。選手寿命とクラブの中長期的な期間には差異がある中で、選手とどのようにお話しされていたのでしょうか。
限られた時間の中で、選手たちが目の前のことを考えるのは当然です。その選手がチャレンジしたいという場合、それが選手にとってもクラブにとっても良いチャレンジなら、確実に移籍した方が良いという判断になりますよね。
また、クラブにとってメリットがなくても、選手にとって必要であるならば移籍は致し方ありません。一方で、クラブとしては移籍金を得られたとしても、選手にとってメリットがないと思ったら、その移籍は止めた方が良いと伝えていました。
移籍がうまくいかなかったときに苦労するのは選手本人です。ですから「このクラブにいたから成長できたんだ」という実感を、選手だけでなくスタッフも含めて多くの人が感じられる、それを繰り返していくことがクラブの価値を高めるのだと考えていましたね。
J2優勝、J1でクラブ最高の4位、ルヴァンカップ準優勝など、ピッチ上で結果を出しながら、クラブの収入を約3倍にまで成長させられました。強化と事業の両面で成果を出すために、双方の連動を意識されていたのでしょうか。
とにかく試合に勝ちたい、勝って喜んでいる人たちを見たいという純粋な思いを持って、強化と事業の 両方を意識していました。ただ、サポーターにも次のようなビジョンを常に伝えていました。
「現状では、これくらいしか資金がありません。これはJ2で上から10番くらいで、このくらいの予算がないとJ1昇格は難しいと考えています。だからと言って、我々は諦めているわけではありません。目標達成には2年か3年が掛かるかもしれませんが、絶対にここまでは収入を上げていきます」
その上で、同リーグのトップレベルのクラブと10億円の収入差があるならば、サポーターの皆さんに対して、その差を埋めるためにスタジアムで良い雰囲気、勝てる雰囲気を作ってくださいというお願いをしました。もちろん、どうやって収入を上げていくかは常に試行錯誤していました。
強化面で言えば、基本的に若い選手の人件費は高くありませんから、彼らをいかに育てていくかが重要です。例えば、加入当初は1,000万円の価値だった選手を、どうやって5,000万円、1億円に育てていくか。とはいえ、J1に昇格したら見える景色が絶対的に違うと分かっていたので、まずはJ1昇格のために何が必要かを考え、J1残留、J1定着と段階的に目標を上げていきました。
また、目標達成に向けて試合内容やプレーの質を上げていく中で、それを維持、向上させるための強化費が捻出できるように、事業面ではいかに収入を上げていくかが必要です。言葉にすると当たり前のことですが、それを常に考えていたと思います。
移籍金という点において、実際に成功した事例はありますでしょうか。
先程もお話ししたとおり、私が本当に成し遂げたかったのは、若い選手たちと一緒にクラブを成長させていくことでした。もちろん移籍した選手もいますが、自分の中ではある程度成功したと感じています。
直接的な収入ではありませんが、例えば、ある選手の年俸が500万円から3,000万円に上がったとしましょう。他クラブから同レベルの選手を獲得しようとしたら、年俸の数倍の金額が必要になります。つまり、若い選手を育成した結果、選手獲得の費用が抑えられたわけですから、これも一つの成功の形だと思います。
クラブの社長として、リーグの仕組みなどに改善点を感じる部分はありましたか。
いえ、最初はそれどころではありませんでした。いま思えば、クラブは目の前のシーズンや試合、目の前の経営課題に対して、決まったルールの中で結果を出すというスタンスになりがちです。唯一の例は、元ベトナム代表のレ・コン・ビン選手やタイ代表のチャナティップ選手などを獲得する際に、 アジア枠のようなものを作ってほしいとお願いしたときは、リーグが素早く対応してくれました。
※後編(11/21掲載)は、こちら へ!
後編は、チェアマン就任後に強く感じていることについて語っていく――。